古く長い歴史を持つ「柿生」エリア
今から2万年以上もの昔、「旧石器時代」からこの地で人々が暮らしていることが分かっている「柿生」エリア。大化の改新以降は「武蔵国都筑郡」に編入され、江戸時代には天領・旗本領・寺領となり、農業だけでなく禅寺丸柿の栽培や炭焼き、養蚕などの副業も盛んになっていきました。川崎市の村のほとんどが多摩川水系に属する中、この地域は鶴見川水系に属し、独自の発展を遂げて来たのです。
柿生の名称が初めて登場したのは、1889(明治22)年の町村制の施行時です。都筑郡の黒川・栗木・片平・五力田・古沢・万福寺・上麻生・下麻生・王禅寺・早野の10の村と岡上村が合併。「柿生村外一カ村組合」となりました。由来については諸説ありますが、この地域特産の禅寺丸柿にちなみ「柿生まれる村」になったとされています。
1927(昭和2)年には小田急小田原線の開業とともに、「柿生駅」が誕生。区内にあるその他の駅は戦後作られた駅ばかりなので、柿生駅は区内で最も古い駅です。また、今年で創立148周年を迎える柿生小学校も区内では最も長い歴史を持っています。
そして1939(昭和14)年、柿生村と岡上村は川崎市と合併。人々が慣れ親しんだ「柿生村」の地名は50年ほどでなくなり、「柿生」の名称は駅や学校名、また地域を示す呼称として残されました。
落ち着いた日常を実感、長く暮らすことのできるまち
さて、現在の柿生駅周辺を見渡すと、比較的夜遅い時間まで営業するスーパー2店に商店街、総合病院や学校、郵便局、金融機関などがあり、生活に必要なものは概ね揃います。「おっ越し山ふれあいの森」や「あさおふれあいの丘」(麻生水処理センター内)など緑地や公園も多く、随所に自然が色濃く残っています。さらに歴史資源も豊富で、それらを体系的に見ることができる「柿生郷土史料館」の他、あじさい寺として有名な「浄慶寺」やだるま市が開かれる「麻生不動院」、「月読神社」、「修廣寺」など、古くからこの地にある神社仏閣も多数。住宅街に囲まれているもののマンションやアパートもあり、治安も良く、子育て世代にも住みやすいまちとなっています。
また、例年春には「ふるさと麻生八景」にも選ばれている麻生川の桜並木沿いで、麻生観光協会主催の「桜まつり」が開催され、秋には柿生中央商店会主催で「禅寺丸柿まつり」が行われます。同商店会はまちのゆるキャラ「かきまるくん」や柿生のまちのプロモーションビデオを作成するなど、まちを盛り上げるための活動にも積極的です。
駅前に超高層マンション! 再開発計画も
そんな魅力が詰まった柿生にも課題はあります。柿生駅周辺の再整備は1980年代から検討されており、川崎市は2018年に「柿生駅周辺地区まちづくりビジョン」を策定。柿生駅前南地区市街地再開発準備組合は、同市が柿生駅周辺で進める都市計画道路・柿生町田線の整備と並行し、住居をメインとした店舗を含む30階建てマンションや駅前ロータリーなどの建設を計画しています。4m幅の歩道空間や防災広場、植栽など、安心安全や環境への配慮も盛り込まれ、地域住民にとってはこの先が気になるところです。
風情ある街並みが残り、子どもからお年寄りまで皆が穏やかに暮らすまち「柿生」。今後も生活の土台として、人々の日常を支えていくことでしょう。
参考文献:『ふるさとは語るー柿生・岡上のあゆみー』(柿生郷土誌刊行会、1989年発行)、『ふるさと柿生に生きて〜激動80年の歩み〜』(柿生 昭和会、2006年発行)
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