小嶋家本陣跡
東海道沿いに残る小嶋家本陣跡
 
東海道をはじめとする街道の宿場で、参勤交代の大名や幕府の公用の役人・勅使・公家・宮門跡などが使用する旅館を「本陣」と言い、その土地の名主などの家が提供されていた。 
享和3(1803)年頃の史料によれば、大磯宿本陣は小嶋家・尾上家・石井家の3家が務めており、それぞれ230~250坪の建坪があった。これらはみな平屋造りで座敷や板の間、土間などがあり、最奥に大名の寝所となる書院造りの「御上段の間」があって庭園も設けられていた。本陣に泊まれるのは大名と側近のみで、その他の者は宿場内の旅籠に宿泊したため、一行の人数が多い場合には、隣の宿場まで使わなければならなかったという。
JR線・大磯駅から徒歩5分ほどの東海道沿いには小嶋家の本陣跡はじめ、尾上家本陣跡(大磯消防署前交差点近く)、石井家本陣跡(現在の大内館の場所)が残る。これらの建物は天保7(1836)年の大磯の火災でみな焼失したが、その後、再建された。慶応元(1865)年の史料によれば、建坪は縮小したものの、ほぼ享和の頃の姿に戻っていたという。
 
ところでこの大磯宿近くの波が穏やかで静かな海岸は、古代より「よろぎ(ゆるぎ、こゆるぎ、こよろぎ、とも言う)の磯」と呼ばれ、万葉集や古今集、新古今和歌集などの歌にも詠まれた風光明媚な浜であった。この海岸では、古くから目の揃った玉砂利が採取され、さまざまな色をしていることから「さざれ石」と呼ばれていた。
先述した大磯宿本陣、小嶋家の当主・小嶋才三郎は江戸時代、和歌山藩御用として大磯海岸の玉砂利・さざれ石の採取を命じられた。やがて砂利の採取は才三郎の専売特許となり、才三郎以外は一俵の砂利を採ることも許されなかったという。大磯海岸の美しいさざれ石はまた、東海道を通る諸大名の献上品の一つになっていたという。
東海道から海岸に至る分かれ道には、今も「さざれ石」という地名が残されている。
 
さざれ石
大磯の浜で今も見られるさざれ石
 
 

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