ある晩夏の夕刻、三沢川にかかる天神橋を渡ると、どこからともなくピーヒャラヒャラヒャラというお囃子が聞こえてきた。笛の音に誘われて天神社の石段下の鳥居まで歩き、鬱蒼とした木々の間を見上げると、神官や氏子に導かれた3匹の獅子と天狗が舞いを踊りながら登っていくところであった。
多摩丘陵の東端の峰の中腹に張り付くようにしてある穴澤天神社は、孝安天皇4(紀元前423)年の創建と伝えられる。「穴澤天神縁起」によれば、元禄7(1694)年にこの地の地頭の加藤太郎左衛門が社殿を改修し、菅原道真公を合祀したという。毎年8月25日には例大祭が行われ、神官の山本家に伝わる国指定重要無形民俗文化財の「江戸の里神楽」と市指定文化財の獅子舞が奉納されている。
穴澤天神社の獅子舞は、1頭の雌獅子と2頭の雄獅子が1組になって舞う「三匹獅子舞」(または一人立ち風流獅子)というもので、都内では奥多摩町や青梅市、桧原村、八王子市などに多く見られる形だ。起源は不詳だが、同市内の青渭(あおい)神社の獅子舞同様、江戸時代の初期から中期にすでに行われていたと考えられており、昭和の初めに一時中断したが、20年代後半に復活して現在に至るという。
登場人物は大獅子・求獅子・女獅子の3頭の獅子と天狗で、大獅子には剣形の角、求獅子にはねじれ形の角が付き、女獅子には角は付かないがいずれも額に玉を頂き、腹にくくりつけられた太鼓を打ちながら舞う。また獅子と一緒に踊る天狗は、丸く太い赤たすきをかけ、右手にうちわ、左手にひょうたんを持つ。同社の獅子舞は京の都から鎌倉への旅物語を表現したもので、囃子方として笛吹や貝吹、歌方なども登場して舞を盛り上げる。
祭礼当日、獅子舞の一団は矢野口自治会館で支度を整えた後、穴澤天神社本殿前に設えられた舞場まで行列する。その中でも74段もの急な石段を舞いながら登る場面は圧巻で、登り終えると獅子たちはひとたび、休憩する。その間、天狗は境内の土俵に塩花を振りまいて清め、大獅子・雌獅子・求獅子を舞場に先導して、皆で舞を始めるのだ。
獅子舞はもともと五穀豊穣や厄除け、雨乞などを祈願して神社の境内で行われてきたものだが、同時に娯楽の少なかった庶民の楽しみでもあった。茜色に染まり始めた空の下で、お囃子を聞き獅子舞に高じる私は、江戸の矢野口村にいるような錯覚に陥っていた。
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