小仏関跡
小仏関跡
 
前回のタイムトリップの中でご紹介した甲州道中の「小仏関」は、北条氏が武蔵国と相模国境の要衝として、天正年間(1573~1592年)に小仏峠に築いた関所であった。山頂からの眺望により富士見関とも呼ばれていたが、その後、武田や織田、今川などの周辺の有力氏が滅んだことから麓に降ろされ、さらに天正18(1590)年に北条氏が滅ぶと、関東に入った徳川氏によって今の場所に移された。関所の西を小仏宿、東側を駒木野宿と呼ぶため、駒木野関とも呼ばれ、甲州道中の中では、最も堅固な関所であったという。
 
春まだ浅い3月初旬、小仏関跡を訪れる。江戸時代の絵地図によれば、関所には東西に門があり、門の外には深い川が流れて、駒木野橋が架けられていたという。その川跡と思われるあたりに「区画整理のため橋を撤去した」との碑が残されていた。
 
当時、小仏関には常に4人の関所番(関守)が置かれ、彼らは関所の近くに屋敷地をもらって住んでいた。関所を通過できるのは明け六ツ(午前6時)から、暮六ツ(午後6時)までで、鉄砲手形や町人手形などが必要だったという。関所跡碑が立つ柵内には、番所の前に置かれていた手形を並べる「手形石」と、手を付いて通行許可を待つ「手付石」が残され、当時の取り調べの厳しさをしのばせていた。
 
明治時代になると全国の関所の廃止とともに、小仏関も取り壊された。そして明治21(1888)年、甲州街道が甲州道中の小仏峠ルートから現在の大垂水峠を越えるルートに変更されると、旧道を保存しようという動きが高まり、国の史跡に指定されたという。
 
ところで、この小仏関所跡から小仏峠に向かう旧道沿いには、関所梅林から天神梅林、湯の花梅林、木下沢梅林などの数々の梅林が点在し、高尾梅郷と呼ばれている。中でも木下沢梅林は丘一面に約1400本もの紅梅・白梅が咲き渡り、特別開放期間は梅園内の遊歩道を散策することができる。
 
圏央道
高尾梅の郷まちの広場から圏央道を見上げて
 
梅林
木下沢梅林
 
 
[INFORMATION]
▼小仏関跡(関所梅林)
八王子市裏高尾町419-1外
▼木下沢梅林
八王子市裏高尾町1356付近
※2017年の特別開放期間は3月26日(日)迄(10:00〜16:00)
 
地図
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