2018年は明治150年の節目の年にあたるが、幕末維新の動乱期、西郷隆盛らと交渉の末、江戸城の無血開城を成し遂げ、江戸を戦火から守った英雄がいる。
その名は勝海舟。江戸の下町に旗本の子として生まれ、11代将軍の孫の遊び相手に抜擢されて江戸城に上がったが、この時目にした大砲や世界地図が、その後、幕臣となって開明の道を進むきっかけになったという。
勝海舟の家は赤坂の氷川にあったが、1868(明治元)年の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗北を喫すと、勝は幕府軍の代表として池上本願寺の官軍本陣に向かった。その途中で立ち寄った洗足池畔の風景に心を打たれ、後にここ(現在は大森第六中がある)に別荘を建て「洗足軒」と名付けた。
桜も散り始めた4月の半ば、南武線の武蔵小杉駅から東急目黒線に乗り換え大岡山駅で下車し、10分ほど歩くと洗足池公園の北側の入口に至った。洗足池は、武蔵野台地の湧水をせき止めた池で、かつては灌漑用水としても利用されていたが、日蓮聖人が病気の療養のために立ち寄り、池で足を洗ったことからこの名がつけられたという。
池の外周には桜や柳などの樹木が植えられ、のんびりと歩くだけでも気持ちが良いが、この遊歩道に沿って、勝海舟墓所はじめ、日蓮聖人ゆかりの御松庵妙福寺、また源頼朝の旗揚げに因む「千束八幡神社」や頼朝の名馬「池月」の銅像などが点在している。赤い弁財天社を右手に見ながらしばらく歩くと、夏にはホタルも見られる水生植物園があり、その木橋を渡ると、広場の奥に「西郷南洲留魂詩碑」が立てられていた。これは共に江戸を救った西郷隆盛が、先に倒れたことを悼み、勝が私費で建てたものだという。その隣の敷地にある墓所で、勝は静かに眠っていた。勝は洗足軒で次のような歌を詠んでいた。そして「富士を見ながら土に入りたい」という遺言に従い、享年77歳で、この場所に葬られたのである。
うゑをかば よしや人こそ
訪はずとも 秋はにしきを
織りいだすらむ
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