飯島商店の軒先にある五右衛門釜
店頭の大釜について店主に話を聞くと、「1978年に大河ドラマ『黄金の日々』が放映された時に、石川五右衛門を釜茹する釜として依頼され、製作したもの」だという。飯島商店は1904(明治37)年創業のよろず金物店で、当初から農器具を製作販売していたためということだった。
大山街道は幕末になると、大山詣の流行に加え、横浜の開港に伴い交通規制が厳しくなった東海道に代わって利用者が増え、交通量も増大した。街道沿いには今でも、その頃に建築された店蔵などが残り、往時の面影を伝えている。
少し歩くと今度は、重厚な瓦屋根の二階に頑丈な格子窓を巡らした蔵造の建物があった。閉められたシャッターには「婦人服タナカヤ呉服寝具」と書かれている。こちらも明治時代の建築で、隣にブライダルハウス、通りの向かいには写真店があり、時代と共に職業が細分化されていくのが分かり興味深かった。そして、ここから数メートル先の府中街道との交差点にも「創業宝暦年間 武州茶 田中屋」と書かれた店があった。
明治時代に建築されたタナカヤ婦人服の蔵造の建物
江戸時代から武州茶と計量器も販売していた田中屋
中に入ると店の奥半分では「はかり」を売っている。店主にその訳を聞くと「昔からお茶と秤は切り離せないものでしょ」と言われ、江戸時代、将軍家に献上する宇治茶を計って茶壷に詰める仕事は、厳重な警備の下に行われる、重要な任務であったことを思い出した。その先にある蔵造の商家が1765(明和2)年創業の「灰吹屋」という薬屋さん。「灰吹屋はこの辺りで唯一の薬屋で、登戸や小杉方面からも買いに来た」との説明書きがあった。
昭和35年まで使われていた灰吹屋の店蔵
「大山小径」を過ぎ、交差点を渡ると、大山街道の歴史・民俗・自然に関する貴重な歴史資料などを保存・展示している「大山街道ふるさと館」に到着した。本来ならば、ここを最初に訪れ、下調べをしてから街道歩きをするのが良いのだが、自分が歩いた道の検証も面白いだろう。さっそく入ってみることにする。
大山街道の歴史や文化がわかる大山ふるさと館
次回(3)へ続く
参考:大山街道ふるさと館 発行資料
[INFORMATION]
大山街道ふるさと館 展示室
高津区溝口3-13-3
TEL:044-813-4705
開館時間:10:00〜17:00
休館日:年末年始
入館料:無料
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