
大学を卒業してから18年間、川崎フロンターレ一筋でプロサッカー選手として活躍してきた中村憲剛選手(40)の引退セレモニーが、12月21日に等々力陸上競技場にて行われました。
セレモニーでは、憲剛選手にゆかりのある人々やかつて一緒にプレーをした選手、チームメイト、家族と、関係者が次々と登壇し、憲剛選手へ感謝の言葉を贈りました。憲剛選手は「みんながありがとうって言ってくれたけど、ありがとうと言いたいのは僕の方です」と、挨拶の中でそれぞれに感謝の気持ちを伝えました。そして、サッカー選手になりたいけれども悩んでいる子どもたちに対しては、どうしても伝えたい思いがありました。
「僕自身は小学校の時も高校に入った時も体が小さくて、今も華奢で強くないですけど、40歳までプレーすることができました。何が言いたいかというと、体の小ささや身体能力の低さはハンデではないということです。おそらく悩んでいる子どもたちががいっぱいいると思いますが、そうではないと、僕のキャリアが言っています。みんなに、子どもたち一人ひとりに可能性があります。それを自ら蓋をしてほしくないし、指導者の人たちもただ小さいから使わない、足が遅いから使わない、そういう目線で見ないでほしいと心から願っています。逆にそのハンデをチャンスだと思ってください。まわりの環境やチームメイトに文句を言うのではなく、全部自分にベクトルを向けてください。そうすれば、その気持ちを持って一日一日頑張れば、必ず道は開けます。そしてまわりが助けてくれます。今、サッカー選手になりたいけれど悩んでいる子どもたち、もう一度、明日から新しい気持ちでボールを蹴ってほしい」
自分自身が劣等感を持っていたが、その劣等感をポジティブなものに変えることで道が開けたと憲剛選手。誰でも自分で蓋さえしなければ必ず道は開けるし、それを受け入れてくれる素晴らしいクラブが川崎にはあるということを伝えたかったと話していました。
「本当に最高のプロサッカー選手生活でした。川崎フロンターレに入れてよかった。みんなに会えてよかったです。僕は頼もしい後輩たちにフロンターレの今後を任せて、先のステージに進みたいと思います。これがたぶん選手として最後に話す言葉になりますが、僕は今日のこの景色は一生忘れません。本当に本当に感謝しています。フロンターレ最高です。ありがとうございました」
挨拶を締めくくり、ステージを降りた憲剛選手。アメフトチーム・富士通フロンティアーズの選手たちが担ぐ神輿に乗ってトラックをまわり、現役選手たちとOB選手たちそれぞれから背番号と同じ数の14回胴上げされるなど、フロンターレらしい演出でセレモニーはフィナーレへ。最後にスタンドのサポーターに向けて拡声器を手に挨拶をして、会場を後にしました。
中村憲剛選手がこれまでどれだけ多くの人たちと関わり、そしてどれだけ多くの人に愛されているかを実感することができた引退セレモニー。その後、オンラインで行われた記者会見で憲剛選手は、感情が揺さぶられすぎて今日は気持ちを切り替えられそうにないが、明日にはしっかりと切り替えたいと話していました。
現役選手生活はわずかですがまだ残っています。12月27日(日)には等々力陸上競技場での第100回天皇杯・準決勝でブラウブリッツ秋田と対戦し、勝てば1月1日(祝)に国立競技場で行われる天皇杯・決勝へ。最高のフィナーレへ向けて、最後の最後まで応援したいと思います。





















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