
11月30日、日本映画大学創立50周年を記念して、「今村学校 創立50年の集い」がホテルモリノ新百合丘にて開かれました。同校(旧・横浜放送映画専門学院/日本映画学校)は、1975年に映画監督の今村昌平さんにより創設され、以来50年にわたり日本の映画界を支える多くの人材を輩出してきました。
この日は卒業生、在学生、教職員など関係者約150人が一堂に会し、世代を超えて交流を深めながら、共に50年の歴史を振り返りました。
日本映画大学の歩み
創設者の今村昌平さんは、カンヌ国際映画祭で2度のグランプリを受賞した日本を代表する映画監督。来年で生誕100周年を迎えます。
「既設のレールを走りたくない若者たち、常識の管理に甘んじたくない若者たちよ集まれ」――そんな呼び掛けとともに、1975年、横浜駅東口のスカイビルに日本映画大学の前身となる「横浜放送映画専門学院」を創設。当時、日本映画産業は低迷し、撮影所が若い人材の採用を停止しつつありました。その状況に抗い、映画を志す若者のための学校をつくり、未来の映画人を養成しようという今村監督の意志が学校創設の原点です。
1986年には新百合丘に移転し「日本映画学校」と改称、2年制から3年制へ。
2011年には、「日本映画大学」として4年制大学に移行し、日本で唯一の映画単科大学となりました。
記念講演(リレーメッセージ)
創立50年の集いでは、元教員や卒業生による記念講演がリレー形式で行われました。
1人目の登壇者、脚本家で文化功労者でもある池端俊策さんは、横浜放送映画専門学院と日本映画学校の時代に教員を務めました。初期の教員たちは今村監督の人徳で集まってきた、第一線で活躍していた映画人ばかりで、教員同士の間にも緊張感があったといいます。
「その空気を学生たちが味わえたのが良かった。初期の講師たちはもう亡くなってしまったので寂しいが、彼らのもとで育った学生たちが元気に活躍しているのを見るとうれしい」と池端さんは語りました。

2番目に登壇した足立紳さんは、日本映画大学の前身校である日本映画学校7期卒業生で、現在は脚本家・映画監督として活躍しています。近年ではNHK連続テレビ小説「ブギウギ」の脚本も手掛けました。講演では、この学校があったおかげで今好きな仕事をできていると語り、「石を投げれば卒業生ばかり」と映画製作の現場に数多くの卒業生がいることにも触れ、後進を育てた今村監督の功績をたたえました。

最後の登壇者は日本映画大学1期卒業生で、現在はポストプロダクション(映像作品の撮影後の技術的仕上げ作業を行う会社)で取締役を務める大竹紀郎さん。
「今の自分がいるのはこの学校のおかげ。本学で学んだことを小さな現場から未来へ受け継いでいきたい。次の50年を目指して一緒に歩んでいきたい」と未来への決意を語りました。

乾杯の発声は、横浜放送映画専門学院で教務課職員などを歴任した赤塚薫さんと、日本映画学校組局長などを歴任した五十嵐満さんが担当。歓談中も卒業生のスピーチが続き、同校の歴史を振り返る記念映像も上映されました。
2017年から日本映画大学の学長を務める天願大介さんは、「本学は時代の流れと逆行して誕生し、変わった人が変わったことを教える大学ですが、普通であることに必死に抵抗しながら、『つくる』ということの原点を今後も伝えていきたい」と話します。
また、理事長の富山省吾さんは「これから日本映画界の中核を担う学生たちや皆さんと共に頑張っていきたい。変わっている大学だからこそ、日本の大学界の先端を走っていきたい」と語り、今村プロ伝統の三本締めで会を締めくくりました。
創設者・今村昌平監督の建学の精神は、半世紀を経ても揺らぐことなく受け継がれています。
今村学校は次の50年へ。この日の集いは、そのバトンを確かにつなぐ時間となりました。






[INFORMATION]
日本映画大学
新百合ヶ丘キャンパス:川崎市麻生区万福寺1-16-30
白山キャンパス:川崎市麻生区白山2-1-1
URL:https://www.eiga.ac.jp/
タグ: MYTOWN SHINYURI 新百合ヶ丘











