田安門
重厚で存在感のある田安門
大名屋敷跡探訪の5回目は、いまも江戸城址に遺る、田安徳川家の屋敷門のお話である。九段下駅から左手にお濠を囲む豊かな緑を眺めて5分ほど歩くと、皇居外苑の北の丸地区(北の丸公園)の入口に田安門が重厚に聳え立っている。
 
田安徳川家は、徳川氏の一支系で、御三卿の一つ。江戸幕府第8代将軍吉宗の次男、宗武を家祖とし、徳川将軍家に後嗣がないときは御三卿の他の二家(一橋徳川家と清水徳川家)とともに後嗣を出す資格を持っていた。家格は御三家に次ぎ、石高は10万石であったという。
 
田安家の家祖の宗武は、1729(享保14)年に元服して右衛門督と称し、翌1730年に田安門内に邸地を与えられて1731年に屋形へ移った。田安邸は江戸城田安門内(現在の北の丸公園の日本武道館付近)にあり、同地が田安明神(現・築土神社)の旧地であったことが、家名の由来となったという。田安邸の東側には清水邸があり、この清水門も現在、同じく北の丸公園に遺されている。
 
田安家は国学を学び和歌をよくする好学の家系で、宗武も俊英で知られたが、嫡子の二代治察が病気で早世した。治察の弟の賢丸(松平定信)は既に白河藩の久松松平家へ養子に行くことが決められていたため、3代目を相続することが認められなかった。そのため宗武の血筋は以後の田安家には伝えられず、田安家も十数年にわたり当主不在となったが、後に、一橋家出身の斉匡が相続し、以後は一橋宗尹の血筋で続いたという。
 
 田安家は江戸時代を通して将軍を出すことはなかったが、1868(慶応4)年閏4月、新政府から慶喜に代わって徳川宗家の相続を許可され、7代当主亀之助(家達)が徳川宗家16代となった。
 
田安門は、正面の高麗門とその右手奥の櫓門からなる枡形門で、扉釣金具の刻銘から1636(寛永13)年に建てられたものと考えられている。訪れた日は、武道館でロックアーティストのコンサートがあり、門内外は若い男女で賑わっていた。その喧噪の中で、この中のいったい何人が、田安徳川家の歴史を知っているのだろうかと、ふと考えてしまった。
 
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