東大赤門
「東大赤門」と呼ばれている前田家旧江戸屋敷の御守殿門
 
東京メトロ丸ノ内線・都営地下鉄大江戸線「本郷三丁目」駅から5分ほど歩いたところに、東京大学の通称「赤門」がある。この門は正式には「旧加賀屋敷御守殿門」と言い、昭和6年に国宝に指定され、現在は国の重要文化財となっている。
 
江戸時代、三位以上の大名が将軍家から妻を迎えた場合、その人の居所を「御守殿」と称し、表通りからその場所へ出入りする朱塗りの門を御守殿門と呼んでいた。加賀藩の13代藩主、前田斉泰は1827(文政10)年、11代将軍徳川家斉の第21女である溶姫(やすひめ)を正室に迎えたが、その際に建立されたのが、この赤門なのである。
 
赤門は、屋根の中央が中心の柱から少しずれる薬医門の型式で、切妻造の本瓦葺となっている。遺された大名家江戸屋敷の邸宅門としては非常に優れた珍しい造りで、門の左右には唐破風造本瓦葺の番所が置かれ、さらに海鼠塀本瓦葦の繋塀が左右に配されて、加賀百万石と言うにふさわしい豪華な造りになっているという。
赤門は、建立当時、現在の位置より15メートルほど大学の建物寄りに建っており、1903(明治36)年に医科大学建設のため、現在の位置に移された。つまりこのあたり一帯は、江戸時代、加賀藩の藩主を務めた前田家の上屋敷があった場所なのである。
 
ここに御守殿門だけが残された経緯について前田家の現当主、前田利祐氏にインタビューすると次のように語っていた。
「明治になって廃藩置県以降は、他の大名家同様、前田家も藩の領地域、江戸や京都の屋敷などすべてを新政府に返し、江戸の上屋敷のあった本郷に住みました。ところが、昭和初期になって東京大学が敷地拡張をすることになり、うち(前田家屋敷)が邪魔になったらしく、当時の一高と航空研究所と共に、土地交換で駒場へ移ったのです」
1929(昭和4)年から翌年にかけて、前田家の16代当主の利為は、駒場の約一万坪の敷地に、地上三階、地下一階建ての洋館と、これを渡り廊下で結んだ二階建て純日本風の和館を建設した。現在は和洋館とも国の重要文化財に指定され、邸宅地は目黒区駒場公園として開園している。
 
初夏の風が心地よいある日、赤門を訪れるとちょうど大学祭が行われていた。世が世なら将軍家から輿入れした姫君だけが通ることを許された門を、老若男女が楽しそうに行き来するのを眺めていると、なんだか不思議な思いがこみ上げてきた。
 
 

第84回地図
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