飛び地・岡上が生まれた歴史的背景
南側を横浜市青葉区に接し、残りの三方が町田市に囲まれた麻生区の飛び地・岡上。広さは東京ドーム30個分にあたる145ヘクタール、そのうちの約半分が農業振興地域となっており、さらにその半分を岡上営農団地が占めます。北辺は東に向かって鶴見川が流れ、コイ・アユ・ドジョウ・サギ・カワセミなどさまざまな水辺の生き物が生息。西方に位置する梨子ノ木緑地には、シュンランやヤマユリなど貴重な草花が自生する雑木林、里山の風景が広がります。
さて、なぜ岡上は大都市には珍しい飛び地となったのでしょうか。1889(明治22)年の市制・町村制施行後、当時の岡上村は周辺の都筑郡や多摩郡には属さず、単独での運営を継続。険しい山道や細道といった地形、郡の隔たりなどが壁となり、隣接する村々との交流は多くはありませんでした。一方、特産物である禅寺丸柿の出荷の効率性などから現麻生区域の柿生村とのつながりは強く、1913(大正2)年には「柿生村他一ヶ村事務組合」を設立し、柿生村と村政の共同運営を開始。1927(昭和2)年に小田急線が開通すると、柿生村とのつながりは一層強まりました。そして、1938(昭和13)年には岡上村の南に位置する都筑郡の村々が横浜市と合併します。岡上村も横浜市か川崎市、どちらかとの合併を迫られ、1939(昭和14)年、以前からの柿生村との結びつきや、工都・川崎の発展の魅力などを理由として、柿生村と共に川崎市に編入。ここに飛び地・岡上が誕生しました。
人々の暮らしに寄り添う、岡上の魅力スポット
小田急線・鶴川駅南口から徒歩約10分、静かな森の中にあるのは、奈良時代の創建と伝わる古刹・東光院(正式名:岡上山東光院宝積寺)。本堂では、川崎市の重要歴史記念物である兜跋毘沙門天立像を保存し、王禅寺と共に多摩丘陵の2大本寺とされています。
そして同院の南側には、1909(明治42)年にもともと岡上村にあった5つの神社を合祀した岡上神社があります。高台にあるため見晴らしもよく、日頃から地域の住民に親しまれている神社で、境内には縁結びと出産の神様・金勢大明神碑を安置しています。
また岡上神社の西側には、縄文から平安時代までの複数時代の集落遺跡・岡上丸山遺跡があります。1987(昭和62)年の開校に向けて、岡上小学校を建設する際に発掘された遺跡で、現在は校庭の一角に遺跡広場が設けられています(見学には同小学校の許可が必要)。
さらにエリアの西側に目を向けると和光大学があり、同校の教授や職員が岡上小学校で自然学習の授業をしたり、学生の発案で鶴見川の大正橋のほとりに「大正橋で見られる生きもの」解説パネルを設置したりと、地域に根ざしたさまざまな取り組みを行っています。里山の自然の中に芸術学科の学生の作品を展示するイベント「サトヤマアートサンポ」もその一つで、昨年は一般公開は断念したものの、岡上町内会からの依頼を受けて壁画「岡上桜」を制作しました。
この他にも、収穫体験ができる観光農園・アグ里やまかげ、70年以上も伝統を守りこだわりの納豆を作っている(株)カジノヤ本社・工場(直販店有)、年に数回一般公開されるナチュラルガーデン・季の庭、果実の栽培から醸造までを行う蔵邸ワイナリーなど、この地域ならではの、人々の地域への愛着が感じられるスポットが多数あります。ぜひゆったり散策し、その魅力を味わってみませんか。
参考文献:『岡上の魅力再発見』(「岡上の魅力再発見」調査会・岡上町内会、2010年発行)