逆さ大門
通常とは逆の坂上に立つことから名付けられた「逆さ大門」
 
読売ランド前駅から、読売ランドに向かうバス通りを10分ほど歩き、西生田小学校の交差点を左折したところに、細山神明社がある。1192年に源頼朝が鎌倉幕府を開いた頃の創建と言われ、細山村の鎮守社として地域の人々から信仰されてきた。
 
江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には、「西に向ふ、社前一丁餘を隔てて鳥居をたつ、ここより社前までは下り坂なる故土人これを逆大門とよぶ、尋常の大門は皆坂下より上へ登れるに、ここのみはかへりて下る故なりと云、村持」という記事がある。一般の神社は坂を上って社殿を拝するのが常であるが、この神社の鳥居は坂の上にあり、坂を下りたところにある社殿に参拝するため、人呼んで「逆さ大門」と言うのだそうだ。その由来については、神明社の縁起に以下のように書かれている。
 
「この神社を創設した当初は、社殿を東向きに建てたのだが、一夜にして社殿が西向きに変わってしまった。村人たちが驚いて東向きに戻すと、また一夜にして西向きになっている。そんなことが三度続いていて、村人たちが不思議に思っていたある夜、名主の夢枕に神様が立ち『この神明社は村の東端にある。東を向いて社を建ててしまっては、大事なわが細山村に背を向けてしまい、お前たちを守ることができない。これを西向きにして村全体が見えるようにすれば、いつも氏子を守っていられる。また、西の方はるか伊勢の皇大神宮の方を向いていることができる。このため大門が逆になるのはかまわぬ』というお告げがあった。名主は夢から覚めると村人を集め、西向きのまま神明社を鎮守として祀ったという」
 
かつて細山神明社には、参拝すると乳が出るという瘤(こぶ)のついた大榊があったという。また拝殿には多数の絵馬があり、眼病平癒の「向いめ絵馬」や、下の病気や腫物のために願をかけた蛤の絵馬が供えられてきたという。  
 
神明社の逆さ大門から続く石段をおり、静かな境内に佇む社殿に向かう。軒下に掛けられたたくさんの絵馬には、着物姿の婦人や子どもが拝んでいる姿が思いのほか色鮮やかに描かれ、しばし時を忘れて見入ってしまった。
 
  • 逆さ大門
 
 
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