大山参り関係史料
大山街道ふるさと館に展示された大山参り関係史料。
 
大山街道ふるさと館では、大山道に関するあらゆる資料が展示されており、時の経つのを忘れ、読みふけってしまった。ここでもう一度、大山道の溝口・二子宿についておさらいしてみよう。
 
溝口村と隣接する二子村が、大山道の継立村に指定されたのは、1669(寛文9)年、徳川幕府4代将軍、家綱の時代のことだ。伝馬の継立は、毎月1日から20日までは溝口村が、21日から月末までは二子村が交替で担当し、人足2人と馬2頭を出していたという。旅人のために人や馬を用立てる継立など、宿駅のすべての業務を総括して行うのが問屋役で、当宿では、代々、溝口の名主の丸屋(鈴木家)が取り仕切っていた。1838年の史料によれば、当宿は上宿・中宿・下宿に分かれて民家や店が軒を並べ、6戸の旅人宿、4戸の居酒屋などがあったそうである。
 
ところで当時の溝口宿を中心とした村々の風景は、春は桜、夏は多摩川の鮎狩り、秋は月、冬は雪と四季折々変化に富み、旅情、詩情にあふれるものであった。大山街道は、多くの江戸庶民や文人墨客が行き来したが、こうした人々が近江八景を模して定めたのが「玉川八景」である。
(1)都筑ヶ丘の夜雨
(2)喜多見の晴嵐
(3)登戸の夕照
(4)向丘の秋月
(5)溝口の暮雪
(6)瀬田の落雁
(7)二子の帰帆
(8)宿河原の晩鐘
とされ、登戸〜喜多見から溝口〜瀬田までの多摩川両岸に広がる各景勝地が、絵師の青陵岩精によって描かれた。また歌人の佐野渡が、玉川八景のそれぞれに和歌を詠み、「武陽玉川八景乃図」の原画には、これらの歌が添えられていたという。二子と溝口の歌を紹介すると、
 
「二子の帰帆」
夕凪を孕んで帰るむしろ帆に
月の生まるる二子すずしき
 
「溝口の暮雪」
六月の雪を沢山ぬり桶に 
つつみ余りたる溝口のくれ
 
「武陽玉川八景乃図」と題した錦絵は、1791(寛政3)年に江戸馬喰町の森屋治兵衛が版元となり出版されたが、溝口では名主の丸屋七右衛門が販売元となり、大山街道を往来する旅人たちに売っていたという。
 
大石橋
大山道が二ヵ領用水と交わる大石橋。橋の袂に溝口名主の丸屋七右衛門の屋敷があったという。
 
参考:大山街道ふるさと館 発行資料
 
 
[INFORMATION]
大山街道ふるさと館 展示室
高津区溝口3-13-3
TEL:044-813-4705
開館時間:10:00〜17:00
休館日:年末年始
入館料:無料
 
第76回地図
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