禅寺丸柿の古木
佐須町にある禅寺丸柿の古木
 
京王線・調布駅からJR線・三鷹駅方面のバスに乗り、「佐須」バス停から数分歩いた民家の庭に、柿の巨木がある。これは「禅寺丸(ぜんじまる)」という甘柿の古木で、推定樹齢は約380年と考えられている。
 
伝承によると禅寺丸柿は、鎌倉時代に麻生区王禅寺の山中で発見された日本最古の甘柿だ。建保2(1214)年、王禅寺にある真言宗豊山派の寺「星宿山華厳院王禅寺」の伽藍が焼失。称名寺(横浜市金沢区)の塔頭延命院の住僧である等海上人が、寺院を再建するための用材を探しに裏山に入ったところ、真っ赤に熟した柿がなっているのを見つけた。もいで食べてみると甘くて大変おいしいので持ち帰り、王禅寺や近隣の農家に栽培を薦めたという。
 
発祥地に因み「禅寺丸」と麻生区王禅寺を発祥とする調布市佐須町の民家に残る禅寺丸柿の古木歴史と風土を訪ねて名付けられた柿は、江戸時代、甘い水菓子として大変な人気を呼び、津久井街道で江戸に運ばれ大量に消費されたという。明治時代になると、王禅寺と周辺の10か村は統合され「柿生村」と命名された。王禅寺の拝殿の前には樹齢450年と伝わる禅寺丸柿の原木が植えられており、この木を含む麻生区の7本の禅寺丸が、平成19(2007)年に国の登録記念物に指定されている。
 
ところで禅寺丸柿は江戸時代、多摩川両岸や武蔵野地域の農村地帯にも栽培され、明治末から昭和初期にかけてこの地域の主要品種となった。当時、佐須村と呼ばれていた調布市佐須町は、多摩川の支流の野川沿いの農村で、農家の庭先にはよく柿の木が植えられていた。柿は生食の他、干し柿や調味料、染料や防腐に利用され、建築木材としても使われていたという。小ぶりで丸みを帯びた禅寺丸柿は、熟して果肉に茶色いゴマがたくさん入ると甘くなる「不完全甘柿」で、その最盛期には名古屋方面まで出荷されたが、新品種の富有などが市場に出回ると、甘みや実の大きさで主要品種の座を降り、昭和40年代後半頃から市場から姿を消してしまった。だが、今も多摩や武蔵野の旧家の庭先には、残された禅寺丸柿の古木を見かけることがある。
 
佐須町大久保家にあるこの禅寺丸柿の木は、樹高約15メートル、主幹の幹周り約1.9メートルと、古木の中では大きいものの一つだ。昭和39(1964)年に東京都の天然記念物に指定されたが、平成19年の台風で大枝が折れ、支柱を立てて保護された。今も秋になると毎年、橙の丸い実をたわわに実らせている。
 
 
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