旧古河邸外観
その大きさに圧倒される旧古河邸
東京メトロ南北線の西ヶ原駅から歩いて10分ほどの所に旧古河庭園がある。この敷地はもともと紀州藩出身の明治維新の元勲、陸奥宗光が明治20年代に邸宅としていたものだが、宗光の次男の潤吉が古河家に養子に入り二代目当主となったことで、古河家の所有となった。古河家三代目の当主、古河虎之助は1914(大正3)年、周囲の土地を買収して約1万坪の敷地とし、大正6年にイギリスの建築家、ジョサイア・コンドルの設計により、洋館と洋風庭園が造られた。さらに2年後、植治の名で知られる京都の庭師、七代目小川治兵衛(おがわじへえ)の作庭により、池泉回遊式の日本庭園が完成したという。
 
第二次世界大戦後は庭園・洋館ともに大蔵省の所管となり、進駐軍に接収されていた。接収解除後、庭園は東京都が国から無償で借り受けて整備され、1956(昭和31)年より一般公開が始まったが、建物は整備されないまま放置されていた。だが1982(昭和57)年に東京都名勝に指定されたことをきっかけに、6年の歳月をかけて修復し、1989(平成元)年より財団法人大谷美術館によって一般公開が開始されている。現在、旧古河庭園は、大正初期の邸宅庭園様式を留める極めて貴重な事例として、2006(平成18)年からは国の名勝に指定されている。
 
初夏の晴れた一日、旧古河庭園を訪れた。門をくぐり園に足を踏みいれると、まずその洋館の大きさに度肝を抜かれた。重厚な外観は、主構造は煉瓦造りでスコットランドや英国の別荘建築に近く、内部は和室を取り込んだ珍しい造り(1階が接客用の洋室であるのに対し、2階は一部を除き、大部分が伝統的な和室)になっているという。
 
地形を生かした広大な庭園は、北側の高台に建つ洋館の下の斜面にバラ園で知られる洋風庭園が、さらに下の低地には滝を持つ日本庭園が配されている。両庭園共に見事でお弁当を持参し、日がな一日過ごしたいと思わせられる素晴らしさであった。
 
洋館内部の観覧については、現在、往復はがきでの申込みを原則とするガイドツアー方式で見学会を行っているが、1階の食堂と応接室は喫茶室として利用することができるという。さっそく大きな窓いっぱいに広がる庭園の緑を楽しみながら、優雅なティータイムを満喫した。
 
秋の庭園
京都の寺と見まがうような古河和庭園
 
第85回風のタイムトリップ地図
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[INFORMATION]
旧古河邸
URL:http://www.otanimuseum.or.jp/kyufurukawatei/