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【風のタイムトリップ vol.73】中世の山城跡に築かれた 富士山巡礼を夢見る塚


 

 稲毛氏の居城で知られる、多摩区菅仙谷の小沢城址。その山中に「浅間神社」の小さな祠が立つ小高い丘がある。これは江戸時代に築かれた「富士塚」と呼ばれるもので、富士浅間信仰の歴史を語るものであった。
 浅間信仰の核となるのは、富士山の神霊―浅間大神を祀る浅間神社で、その総本営が富士山本宮浅間大社であった。だが、当時の人々は、そう簡単に富士山巡礼に出かけられなかったため、地元にミニチュアの富士山を作り、登山することで同じ霊験を得ていたのだという。
 富士塚は一般的には、人工の塚や築山や自然の丘などで、参道には富士山から運ばれた溶岩を置いたり、〇合目と書かれた石柱などを立て、限りなく本物に似せて作られた。各地にできた富士塚は、前に地名を付けて「〇〇富士」と名付けられたが、人々からは、「お富士さん」と、親しみ込めて呼ばれたという。
 梅雨入りも間近のある日、小沢峰の富士塚を訪ねる。小沢城址に至るまでの道がちょっとした登山道なので、都心に残る富士塚に比べて、ここではかなりリアルな登山体験ができると思った。富士塚は、その頂上から本物の富士山が望めるように作られていたというが、丘の高みに立つと四方には木々が生い茂り、富士山の姿を見ることはできなかった。傍らの解説板には「多摩区や麻生区の富士講の人々が登山するには、多摩丘陵の峰づたいに小沢城に来て山を下り、多摩川を渡り、調布から甲州街道を登山口のある山梨の吉田口まで歩いた」とあった。富士講とは、集めた会費で代表者が本物の富士山に詣で、会員がそのご利益に与るという、江戸時代に流行した参詣ツアーグループのことである。150年以上も昔、ここで人々が、いつか本物の富士山に登ることを夢見たように、私も石の祠にひざまずき手を合わせた。
 小沢城址碑のある広場に出ると、隅の築山の麓に「富登山三十三度大願成就」と書かれた石碑があった。裏に回ると、夏草の茂みの中に「万延元年」(1860年)という文字が揺れていた。

 

富士塚の祠
城山に築かれた富士塚の浅間神社の祠

 

富士山登山記念碑
万延元年の富士山登山の記念碑

 

馬場跡の遊歩道
緑がまぶしい馬場跡の遊歩道

 

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