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【風のタイムトリップ vol.67】2020年東京オリンピックの競技場ができる 調布飛行場の歴史


 

オリンピックイヤーだった2016年。次回2020年はいよいよ東京開催である。そこで今回は、麻生区から最も近いオリンピック施設ができる予定の調布飛行場跡地の歴史についてお話ししたい。
 調布飛行場は、1941(昭和16)年に東京府北多摩郡調布町・三鷹村・多磨村(現在の府中市)にまたがる約50万坪の土地に公共用飛行場として竣工した。当初は現在の滑走路とほぼ同じ位置にメインの滑走路と、その南端近くで東西に交わる横風用滑走路との合計2本の滑走路があった。太平洋戦争が起こると陸軍が使用し、基地は現在の東京スタジアムや警察学校の辺りまで拡張され、未舗装の滑走地帯になっていたという。
 終戦(1945年)後、調布飛行場は日本を占領下に置いたアメリカ軍に接収されたが、7年後に日米安保条約などが結ばれ、当地は接収財産から提供施設区域に切り替えられた。その後、渋谷区代々木にあったアメリカ軍の兵舎と住宅施設「ワシントンハイツ」が、1964年の東京オリンピック開催時に日本に返還され、選手村として利用された。その代替住宅施設が調布飛行場近くに建設され「関東村」と呼ばれてきたのである。
 1973年、関東村を含む飛行場地区が日本に全面返還された。飛行場跡地の利用に関しては、その後10年に渡って協議・折衝が繰り返されたが、その間、新中央航空が調布〜新島間、調布〜大島間、調布〜神津島間にそれぞれ不定期便の運航を開始した。そして2001年、調布飛行場は東京都が国から管理運営を引き継ぎ、正式な都営コミューター空港として開港したのである。
 その他の跡地については、調布・三鷹・府中市が協議し、現在の東京スタジアム、アミノバイタルフィールド、武蔵野の森公園、運動広場などが作られた。
 武蔵野の森公園は、調布飛行場を西側と南北から囲む緑豊かな公園で、広々とした芝生の広場や池、子どもの遊技場、テニスコートの間を遊歩道が続いている。滑走路が一望できる丘に登ると、大島から戻って来た小さな飛行機が、すぐ眼前を旋回し舞い降りてゆくのが見えた。

 

滑走路
離着陸する飛行機をいつまでも眺めていたくなる滑走路の見える丘。

 

掩体壕
本土決戦に備え飛行機を格納する掩体壕。

 

遊技場
向こうに東京スタジアムが見える公園内の遊技場。

 

遊技場2
テニスコートに隣接する遊技場。

 

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