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【風のタイムトリップ vol.66】汁守神社と対を成して 「飯物」を調製した 飯守神社


 

 以前、当コラムで黒川駅近くの丘上に鎮座する「汁守神社」について紹介したことがある。汁守神社はその昔「汁盛神社」と書かれ、その由来は、武蔵野国の総社であった府中の大國魂神社の例大祭(5月初旬に行われているくらやみ祭)の時に「膳部」の汁物を調製していたことによるという。膳部とは、律令時代に、朝廷の役人の食膳を調えることを職とした専門集団のことで、膳夫(かしわで)とも言われていた。
 この汁守神社から鶴川街道を町田方面に進み「真光寺」の交差点を右折したところに「飯守(いいもり)神社」というのがある。ここは汁盛神社の汁物に対して「飯物」を調製したと伝えられ、飯と汁で一対の食事を意味することから、ともに農業の神様(保食命/うけもちのかみ)を主祭神としている。
 まだ夏の気配が残る9月の初旬、真光寺に飯守神社を訪ねた。石段を登り、太いしめ縄が架けられた木の鳥居をくぐると、緑濃い森を背にして、特徴的な二つの屋根を持つ社が現れた。1800年初期に書かれた江戸時代の地誌「新編武蔵野風土記」によれば、飯守神社は真光寺村の鎮守で、飯森明神と呼ばれていた。その当時、社殿には覆屋が設けられていたという。拝殿の前に立ち、手を合わせて見上げると、軒下に神社の縁起が記されていた。それによれば、飯守神社は1650(慶安3)年に当地の領主、飯田次郎右衛門重家らによって遷宮され、「飯盛明神」と称した。また鳥居下から古墳時代前期の祭祀用土器が出土していることから、神域だったことがうかがわれるという。「いいもり」という社名の由来についても「武蔵の総社の例大祭の時の献餞之儀の際に御食を司った」と記されていた。
 境内の隅に「庚申塚」と書かれた立札があったので、その裏手の山道を歩いてゆくと、木立の奥へと続く石段の先に、小さな塚が建てられていた。さらに、久しく人が通わなくなったことを知らせるいくつもの蜘蛛の巣をかき分け進んでいくと、窪地のような場所に赤い小さなお稲荷さんがぽつんとあった。

 

飯守神社の鳥居前
飯守神社の鳥居前には、「飯守神社50周年遷宮」と書かれていた。

 

拝殿
長い歴史の時間の経過を感じさせる拝殿。

 

社殿の特徴的な二つの屋根
「一間社流れ造り」の社殿の特徴的な二つの屋根。

 

庚申塚
蜘蛛の巣をかいくぐり歩いた山中で見つけた庚申塚。

 

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