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【風のタイムトリップ vol.63】頼朝や義貞が祈願した弁財天が佇む 井の頭池の話


 
 井の頭恩賜公園の「井の頭池」のほとりに佇む弁財天堂は、前回お話しした「分倍河原の戦い」で新田義貞が戦勝祈願し、その戦火で焼失したものの、江戸の水源の守り神として再建された歴史を持つ古刹である。
 井の頭池は、近くの御殿山遺跡から竪穴式住居跡が見つかっていることなどから、はるか昔から人々の生活に欠かせない水源であった。かつては湧水口が7か所あったことから「七井の池」とも呼ばれ、「七井橋」の名はこれに由来したものである。
 弁財天堂は、平安時代の僧、最澄作と伝わる「弁財天女像」(8世紀末)を安置するために、源経基(経基流清和源氏の初代で武蔵国司として938年に赴任)が、ここに建てたお堂である。弁財天の縁起によればその後、源頼朝が東国平定を祈願し、大願が成就した後の1197(建久8)年に改築して、その別当寺として天台宗大盛寺を建てたという。
 ところが新田義貞の鎌倉攻めで弁財天堂は焼失。その後、約三百年間、放置されていたが、江戸幕府三代将軍・徳川家光により再建された。これに先駆け、井の頭池は徳川家康の命で建設された江戸の上水道「神田上水」の水源に選ばれた。家康自身も1606(慶長11)年、井の頭池を訪れ、自らの手で水を汲んでお茶を点て、関東髄一の名水だと褒めたことが、大盛寺の『神田御上水井之頭弁財天略縁起』に記されている。この故事により井の頭池の湧水は「お茶の水」と言われ、その時の茶臼は今も弁財天堂に納められているという。
 その後、1629(寛永6)年、家光が鷹狩でこの地を訪れた際に、池の水が江戸の飲料水の源、つまり上水の頭であることから「井の頭池」と名づけたという。将軍自ら小刀で、弁財天堂の傍らにあるこぶしの木にその名を刻んだとも言われ、その木の樹皮は大正時代に火事で焼けるまで、大盛寺に保存されていた。
 家光の時代に再建された弁財天は水源の他、財産や芸能・音楽の神様としても、江戸の庶民の信仰を集め、江戸市中からの参詣者は絶えることがなかったという。井の頭池の南側の住宅街には、弁財天参道入口の道標であった黒門が残されている。
 
弁財天堂
涼しげな池の噴水の向こうに見え隠れする弁財天堂。
 
七井橋
七つの湧き水があったことに由来する「七井橋」。
 
お茶の水
家康が自ら水を汲み茶を点てたことに由来する「お茶の水」。
 
63回地図
井の頭恩賜公園アクセス:小田急線「下北沢駅」にて京王井の頭線に乗り換え、「井の頭公園駅」下車徒歩1分

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