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【風のタイムトリップ vol.58】義経の母、常盤御前が非業の死を遂げた唐木田の里


 
 この連載でもすでにご紹介しているように、麻生区には古くから鎌倉と北関東を結ぶ鎌倉古道が通っていた。それゆえ至るところで、源義経など中世の名だたる武将の足跡に出会うのだが、同じく北関東へ向かう古道で、麻生区周辺に残されているのが「奥州古道」である。奥州古道は律令時代に作られた京の都から東国へ至る官道で、相模と武蔵の両国府を結ぶことから国府街道とも呼ばれていた。この道筋は時代と共に少しずつ推移したと考えられ、現在は西から「奥州古道(常磐道)」「奥州廃道(長坂道)」「中尾道」の3つのルートが確認されている。
 奥州古道に残る義経関係の史跡を調べていると、義経の母の常盤御前にまつわる土地があることがわかった。新百合ヶ丘を始発とする小田急多摩線の終点駅、唐木田の山里である。奥州古道の最西ルート・常盤道は、町田市の常盤町を通って北上し、唐木田駅の東で奥州廃道と合流するが、この常盤御前と同名の地名も実に興味深い。ともあれ唐木田の里に伝わる話とはこうしたものである。
 平家討伐の後、頼朝にうとまれて奥州に落ちた我が子、義経の身を案じた常盤は、亡き夫の義朝の護持僧である円浄坊を頼って唐木田の里に辿り着いた。円浄坊は常盤が頼朝を宿した時、腹帯を持って上がった僧で、「吾妻鏡」によれば1182年に京都からこの地にやってきて蓮生寺を草創したと言う。  
 一方、常盤越前は義経が都落ちをした後、義経の妹と共に京で捕えられたが、義経の逃亡先を証言したため釈放された。その足で義経を追い、唐木田を目指したのだろうか。常盤はこの山里でひっそりと暮らしていたが、1189年、義経の首が鎌倉に届いたとの悲報を受けると、自ら庵に火を放って亡くなったと言う。
 蓮生寺を訪れると、御本尊の木造盧遮那仏(平安末期の円浄坊が持参したと伝わる仏像)は見ることができなかったが、境内を囲む鬱蒼とした木々を仰ぎ見ていると、常盤の哀しみが伝わってくるような気がした。

 
蓮生寺
円浄坊が建てた蓮生寺
 
参道石段
木々か覆い茂る参道石段
 
浄瑠璃緑地
蓮生寺下の浄瑠璃緑地(小山田氏に嫁いだ悲劇の浄瑠璃姫に因む)
 
58回地図

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