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【風のタイムトリップ vol.11】麻生の名は苧の栽培畑の風景から付けられた!?


 
 麻生区の名は、古来、この地域に麻が自生していたことに由来するという。この麻は一般的に「麻」と呼ばれている大麻(桑科)ではなく、苧(カラムシ)というイラクサ科の多年草だ。日本をはじめ中国やインド、中央アジアに自生し、古く律令時代には、中央への税金(調)を苧の布で納めていたという。苧は春分の頃に種をまき、夏に淡い緑黄色の花をつける。そして7月半ば頃に2メートルほどに育った茎を収穫するが、茎を蒸し(ムシ)て、皮(カラ)を剥ぎ繊維を取り出して布を織ることからこの名がつけられた。

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 ところで当地を「麻生郷」と呼んだ最も古い史料は、鎌倉末期の足利尊氏の所領目録だ。これと同時期の「杉山神社年中行事」の中に「七月立秋ノ日 麻刈…(中略)…此ノ日麻生庄中ヨリ新麻ヲ献ス。」という記述があり、当時、周辺の村では広く麻が栽培されていたことがわかる。どうやら麻生区の「麻(アサ)・生(ウ)る」は、自生というより、広がる麻(実際は苧)栽培畑の様子を言いあらわしたのではないかと思うのである。

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 時は流れて昭和62年、細山・金程地区五大事業完成を記念して、同区の香林寺に「五重塔」が建立された。その際、安置する四天皇像を天平時代(7世紀半〜8世紀半)の脱活乾漆造(塑土をベースに漆と苧の布を張り重ねる技法)で造ることになった。その布の原料として、寺の周辺に自生する野苧を使うことになったのだ(古代から栽培されてきた苧が野生化したものと考えられている)。結局、地元の苧だけではすべてを賄えず、苧の有数の栽培地である福島県からも取り寄せ、苦心の末に布が織りあげられた。その苧の布には、五重塔建立に尽力した人々の名が墨で書かれ、四天皇像の体内に貼り込まれているという。
 
苧(カラムシ)
苧(カラムシ) 麻生区の名はこの苧に由来するという(写真提供/石井よし子)
 
増長天
香林寺増長天 四天皇像のうちの増長天(写真提供/香林寺)
 
苧の布
香林寺五重塔の四天皇像の体内に貼り込んだ苧の布(写真提供/香林寺)

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