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【風のタイムトリップ vol.59】朝廷の牧場があった小山田緑地と小山田一族の話


 
 前回に続いて麻生区周辺に残されている奥州古道の話である。現存する3つの古道のうち最古とされる「奥州廃道」は武蔵国に入ると、町田市にある小山田緑地を抜けて多摩市へ入り、国府のある府中へ至っている。 
 小山田緑地にある案内板によれば平安時代、この辺りには朝廷が管理する牧(牧場)があり、年間で何頭か良い馬を選び出し都に運んでいた。その輸送に使われたのが、今も小山田緑地北側の東京国際ゴルフ倶楽部に残る奥州廃道だというのである。
 当時、この牧場の別当(管理者)を務めていたのが、秩父桓武平氏の出である小山田有重であった。有重には後に小山田兄弟として名を馳せた5人の息子がおり、幼い頃から牧場で武芸に励んでいたと言う。現在、小山田緑地にある運動広場は、その兄弟たちが競馬をした「馬場窪」跡だそうだ。小山田兄弟は鎌倉幕府の御家人となってそれぞれ活躍したが、中でも三男の重成は頼朝の妻・正子の妹を妻に迎え、稲毛重成を名乗って枡形城や小沢城(共に多摩区)の城主となり、川崎市域を支配する権勢を誇った。
 まるで巨大なすり鉢の底のような馬場窪から西側の斜面を登っていくと「みはらし広場」があり、名前通りの絶景に言葉を忘れて立ちつくしてしまう。みはらし広場を降りて西の方向に歩くと、小山田氏の居城跡と伝えられる大泉寺の参道入口に出る。都から奥州古道を下ってきた官人たちはここに立ち寄り、武蔵国府に向かったと言う。
 大泉寺の門前には、小山田の侍たちが流鏑馬や馬駆けを行ったと伝えられる長くまっすぐな参道がどこまでも続いていた。その先には杉並木に届きそうな二階建ての荘厳な山門。広い境内に出ると背後に小山田城跡と思われる城山があり、その袂の石碑には次のようなことが記されていた。「小山田有重は1171年にこの地に城を築き、源平の時代に頼朝の家人として活躍するも、北条時政の誹りを受けて小山田一族は離散した(後略)」。 
 城山を登るとその中腹には、有重らのものと伝えられる3つの供養塔が、早春の木漏れ日の中にひっそりと佇んでいた。
 
馬場窪
小山田兄弟が武芸に励んだ馬場窪
 
みはらし広場
富士山が中空に浮かぶ、みはらし広場
 
大泉寺の山門
杉並木に囲まれた荘厳な大泉寺の山門
 
小山田有重らの供養塔
城山に祀られた小山田有重らの供養塔
 
59回地図

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