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【風のタイムトリップ vol.57】絶景を楽しめる 王禅寺見晴らし公園の「弁慶の鍋ころがし」


 
 平安末期の1185(文治元)年、壇ノ浦で平家を滅ぼし、鎌倉幕府樹立の最大の功労者となった源頼朝の異母兄弟、源義経。1180(治承4)年、22歳の時に、源頼朝の挙兵に奥州平泉から馳せ参じてより、1183(寿永2)年、頼朝の代官として京都に赴き、木曽義仲を追討するまでの3年間について、実は詳しい足取りがわかっていないと言う。
 このことについて、頼朝と再会した義経はその後、鎌倉に住み、源氏の世を作るために東国の武士との工作を重ねていたのではないかという説がある。実際、当時、武蔵国府の役人の官舎があったとされる現府中市の高安寺には、義経や従者の弁慶が、ここを拠点に鎌倉や東北を行き来していた形跡が残されていると言うのだ。そしてまた、国府と鎌倉を結ぶ鎌倉古道の通り道であった麻生区周辺には、すでに当コラムでも紹介しているように、古沢の「九郎神社」、高石の「二枚橋」、多摩区菅仙谷の「寿福寺」など、彼らに関係の深い史跡が多く残されている。
 そんな中でちょっとユニークなのが百合丘3丁目に残る「弁慶の鍋ころがし」である。小田急線・百合ヶ丘駅からバスに乗り「団地坂上」で下車すると、道から一段低くなった場所に「王禅寺見晴らし公園」という小さな公園がある。ここはその昔「鍋ころがし」と言われていたそうで、その由来が案内板にこう書かれている。「義経と弁慶がこの地に差しかかり、弁慶が馬と共に急な坂を越す時、馬が足を滑らせ、危うく落馬しそうになった。そのとき、鞍の後ろにつるしてあった鍋のひもが切れ、鍋は断崖に落ち谷底に消えて行った」と。
 停留所附近もすでに素晴らしい眺めだったが、せっかくなので公園内に入り、鍋が落ちたという谷底を覗き見る。すすきの穂越しに見えるのは、住宅街を囲む黒いアスファルトであったが、ふと顔を上げ、黄金色の空に光る山々の稜線に目をやると、どこからかカランカランという音が聞こえた気がした。
 
「弁慶の鍋ころがし」からの眺望
「弁慶の鍋ころがし」からの眺望
 
団地坂上バス停
「弁慶の鍋ころがし」に近い「団地坂上」バス停
 
王禅寺見晴らし公園
こじんまりとした王禅寺見晴らし公園
 
57回地図

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