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【風のタイムトリップ vol.19】麻生の人々の生活の道 津久井街道の昔


 
 津久井街道は、赤坂を起点に出発した大山街道が世田谷の三軒茶屋から分岐して津久井地方に向かう道で、多摩丘陵の村々ではその昔「江戸道」とも呼ばれていた。街道は多摩川を渡り川崎市に入ると、登戸、生田、柿生を経て、鶴川からは鶴見川に沿い相模原市橋本を経由し、最終的には吉野宿で甲州街道に合流した。
 津久井街道は東海道や大山街道、中原街道のように参勤交代などの封建制度目的で整備されたものではなく、沿道の村々の生産物を江戸に送り、その帰路に塩や雑貨、都市の文化を移入する、いわば住民の生活に根ざした商業路であった。
 津久井街道がにわかに活気づいたのは、1813(文化10)年、津久井や愛甲の特産品である絹が、江戸の呉服商と直接取引されるようになってからのことである。この地方の絹はもともと八王子の市場に出荷されていたが、地元の商人に値段を安く抑えられていた。それが八王子商人を通さずに江戸へ直送できるようになり、その販路として使われたのがこの津久井街道だったのである。それまでも炭や柿などを江戸へ運んでいた津久井街道は、以後、絹の道として新たな活気を見せ始めた。上麻生の「竹の花」という集落では、こうした人馬を相手にした宿屋や商店が軒を並べ、かつてないほど賑わったという。

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 麻生区を通る津久井街道は、読売ランドへ向かう124号線の二枚橋辺りが要衝で、周辺には当時から多くの店が並んでいた。橋の北側には今でも「宝暦四年」と刻まれた庚申塔が残るが、その向かいにある「魚千代」はかつて足袋屋だったという。そこを入った道沿いには、昔は馬を売り買いした「ばくろう」がいて、現在も馬頭観音が残っている。この小路を進むと追分に至り、万福寺村と弘法松方面への分岐点となっていた。弘法松へ至るルートは津久井街道の古道だったが、1921年(大正10)年以降は陸軍大演習の大砲運搬のために整備された万福寺ルートが津久井街道の本道になったという。
 
庚申塔
二枚橋近くにある庚申塔
 
馬頭観音
魚千代向かいにある馬頭観音
 
現在の津久井街道
現在の津久井街道(万福寺)
 
風のタイムトリップ19回地図

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