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【風のタイムトリップ vol.23】津久井道を陸送された 江戸で評判の黒川の炭


 
 江戸時代中期頃から、江戸の町人たちの暮らし向きが豊かになり、部屋の暖房用に木炭が盛んに使われるようになった。一方、当時から雑木林の多かった黒川の多くの農家では炭焼きを行い、江戸や調布の布田宿などに出荷していた。『新編武蔵風土記稿』の「都筑郡」の項には、黒川炭について次の様に書かれている。「村民農業ノ暇ニハ毎年九月ヨリ焼始テ三月ヲ限トセリ黒川炭ト唱ヘテ焼コトハ当郡又ハ多磨郡ニモアリ当村其モトナルヘシ」。つまり、毎年9月から3月の農閑期に黒川の農家では炭焼きを行い、この地域(他に栗木、片平、上麻生、王禅寺など)で焼かれた炭は、みな黒川炭の名で出荷されたという。
 黒川では最盛期に15軒余りの農家で炭を焼いていたが、黒川炭は土窯で焼く黒炭で、土窯はみな村人が共同作業で作った。大正時代にかけて作業の時には威勢のよいドヅキウタを歌ったと伝えられる。炭にする薪は主にクヌギやナラの木が使われたが、黒川炭のうちクヌギを焼いた「桜炭」はとても良質で「黒光りする皮を付けた炭」と江戸で評判になった。だがクヌギやナラの木は、一度切ってしまうと再び炭焼きに使える木に育てるには10年かかったという。そのため伐採は計画的に行われ、手入れも必要だったので、山はいつも整えられていた。だが、炭焼きが廃れてからは、雑木林は次第に荒れた状態になってしまったという。
 ところで木炭の江戸への輸送は、産地が遠いものは水上輸送された。その中で、黒川炭は数少ない陸送によるものだった。江戸に近い村では、一部、仲買問屋を通さずに行商していたことが『風土記稿』に記されている。その後、行商人たちは江戸で店を開くことができるようになった。当時、幕府に提出された名簿には「 松屋町嘉右衛門借地 栗木屋弥兵衛」(江戸竹木薪問屋仮組)「松屋茂兵衛店 黒川屋松兵衛」(江戸炭薪仲買人名簿)の名が見える。彼らは土地や店の賃貸料の他にも特権に対する多額の上納金を幕府に納めなければならなかったが、江戸での木炭の消費は高まり、そこそこ繁盛したようである。木炭は暖房の他にも、食品の加工や工業、また、養蚕農家では蚕室の暖を確保するためにも使われた。黒川や栗木では、養蚕も盛んだったため、地元の炭が養蚕にもたくさん使われたという。
 
炭焼き風景
川崎最後の炭焼き(黒川・1985年)
写真集『わがまち麻生』より
 
畑の風景
畑の風景が広がるのどかな黒川地区
 
23回地図
布田道:江戸時代、小野路町から黒川を通り、甲州街道の布田を結んだ。黒川炭もこの道を通って江戸に運ばれた。
津久井道:甲州街道の裏街道として、また絹や川魚、川崎特産の禅寺丸柿や黒川炭などの江戸への運搬に利用された。

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