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【風のタイムトリップ vol.29】幻の大丸城を偲び 城山公園を歩く


 
 川崎街道の南武線南多摩駅付近「大丸」という土地には、中世の時代、「大丸城」が築かれていたという。『新編武蔵野国風土記稿』の大丸村の項には「土人これを城山と呼ぶ。登り一町余の山にて、上に堀の跡とおぼしき所あり、物見などせし所なるべし」との記述があるが、古代から多摩川の渡河点であり、鎌倉古道も近くを通るこの高台は、物見を置くのにうってつけの場所であったのだろう。
 住宅街の一角に立てられた大丸城址の解説板によれば、1980〜1986年(昭和55〜61年)に3度の発掘調査が行われ、この地が縄文時代から江戸時代にかけての大規模な複合遺跡であることがわかったという。城の構造としては山頂部に主郭を置く山城で、主郭の上には小さな建物と柵の列の跡があり、周りには深さ2〜3メートルの空堀と土塁状の腰曲輪(第二郭)が廻っていた。これによりここは見張り台程度の山城で、東斜面から経塚や墓跡など中世の遺構が発見されたことから、多摩区菅にあった小沢城と同時期(1180年頃)に築城され、14〜16世紀(南北朝〜戦国時代)に使用されたことが明らかになったという。大丸城は実際、新田義貞の鎌倉攻めの際に鎌倉方の物見台として使われ、さらに1530年に後北条氏が府中に侵攻してきた上杉朝興を迎え討つ際にも、小沢城に本陣を置きここを物見櫓にしたことが伝えられていることから、小沢城の出城的な役割を果たしていたと考えられるのだ。
 大丸城が築かれていたのは、周囲数百メートルほどの小さな山上だったが、住宅地造成の際に山ごと削り取られ、大丸城址は跡形もなく消えてしまった。ところが道を挟んで反対側の小高い丘が、いつの頃からか「城山」と呼ばれるようになり、あたかもここが城址のように思われている。城山は現在、広大な自然公園になっており、起伏に富んだ散策路には「一の丸」から「九の丸」までの石碑が点在している。これを辿りながら、遠い昔、反対側の丘にそびえていた大丸城を偲び歩くのも良いかもしれない。
 
大丸城
芝生広場や野草園、展望タワーなどもある城山公園。園内に点在する石碑には、彫刻家・志津雅美氏の詩も刻まれている。
 
29回地図

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