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【風のタイムトリップ vol.30】柿が生まれた村の物語 —王禅寺の原木を訪ねて


 
 麻生区の名産品「禅寺丸柿」は、今から約800年前に星宿山華厳院王禅寺の山中で発見された日本最古の甘柿だ。その発祥については、1214(建保2)年または1370(応案3)年、いずれも焼失した王禅寺の再建にあたった等海上人が用材を探しに裏山に入ったところ、赤く熟した柿を発見。甘くておいしいので持ち帰り、村人に接木で栽培させるとともに、近隣にも栽培を広めたと伝えられている。これが1889(明治22)年の町村制施行の際に、王禅寺と周辺の10か村が統合され「柿生村」と命名された所以である。
 木々に覆われた涼やかな参道を歩き、石段を登って寺の境内に至ると、拝殿の前に禅寺丸柿の原木が静かに佇んでいた。小さなまん丸の柿は、まだ夏の終わりだというのに、もういくつかが橙に色づいていた。
 禅寺丸柿は発見後、瞬く間に横浜や南多摩方面にも栽培が広がり、現在も調布市深大寺や佐須町に残されている禅寺丸古木が、そのことを物語っている。  
 1648(慶安4)年頃からは江戸に出荷され始め、「馬の背に六貫入り三籠を積んで津久井道で江戸まで運んだ」との記録がある。また江戸中期の『新編武蔵風土記稿』王禅寺村の項には「ここにても柿の木をあまたうえてその実尤美なり、江戸にて禅寺丸柿と称するものは此所の産なり、もと王禅寺丸と唱ふべきを上略して禅寺丸と称す云」と記述されており、特に王禅寺産のものが、色、味ともに優っていたことがうかがわれる。同時期の王禅寺村明細書によれば、柿は村の最重要商品で、1年間で100両以上の収入があったらしい。
 明治になると名古屋方面にも出荷され、1909(明治42)年には樹齢300年の禅寺丸柿が明治天皇に献上された。出荷は大正にかけて最盛期を迎え、1921(大正10年)には柿生村の生産量が938トンに達した。だが新品種の登場や都市化による柿の木の減少で、昭和40年代の後半ごろから市場から姿を消してしまった。禅寺丸柿は2007(平成19)年、国の登録記念物として登録され、地元で結成された柿生禅寺丸柿保存会によって熱心な保護活動が行われている。
 
王禅寺の柿
王禅寺の禅寺丸柿原木
 
30回地図 王禅寺

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