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【風のタイムトリップ vol.32】鎌倉古道が重なり 合う「絹の道」 七国峠古道


 
 津久井街道が、津久井の特産品の絹を江戸へと運ぶ「絹の道」と呼ばれて活気づく以前、この地方の絹は、八王子の市場を通り、江戸や各地域へ出荷されていた。この時に津久井と八王子を結んだのが、今も町田市に残る「七国峠古道」である。幕末に横浜が開港すると、この古道は輸出品の生糸を横浜へ運ぶ新たな「絹の道」となり、大変に栄えたという。
 横浜線相原駅西口の住宅街の途切れ目から始まる古道を、晩秋ののどかな里山の空気を楽しみながら歩く。山野草が群咲く向こうに「御殿峠古窯群跡」の案内板があり、平安時代に瓦や須恵器を焼いた窯跡が多く残され、その規模は国内最大級だと説明されていた。七国峠古道は古くは縄文時代、物々交換に使われた交易の道であり、平安時代には群馬県新田から大磯海岸の高麗山まで、関東平野を南北に一直線に貫く幹線道として整えられたと考えられている。そして鎌倉時代には、新田を初めとする北関東の有力武士らが鎌倉を目指して駆け抜けた、まさに鎌倉道となったのだ。広々とした草地を左に見ながら右手の山道を登ると、林間の気持ち良い道に出た。その突き当りまで行くと、眼下には八王子方面の街並みが広がり、中空には秩父や奥多摩の山並みが連なり、胸がすくような眺めだ。尾根道は進むにつれて山深さを増す。七国古道の案内板を道なりに進むと、やがて七国峠の三叉路に出た。正面の小山には、1839(天保10)年に講中の二人が出羽三山の代参の記念に立てたという「出羽三山供養塔」がひっそりとある。二股の左は静かな樹林の道。そして右側の道には、これぞ鎌倉古道の名残と言える見事な掘割。山頂に至る右方を選び、枯れ葉を踏みしめ歩きはじめると、どこからか馬のひずめの音が聞こえてくるようだった。
 
七国峠古道からの眺め
七国峠古道の尾根上からの眺望
 
掘割の道
鎌倉古道の名残が残る掘割の道
 
31回地図

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