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【風のタイムトリップ vol.35】梅の寺の奥に佇む ありがた山の石仏群


 
 京王よみうりランド駅にほど近い妙覚寺(稲城市矢野口2454)は、室町時代末、足利義春が鎌倉の建長寺の末寺として創建した臨済宗の寺である。その後、1789(寛政元)年に焼失し、現在の建物は1796(寛政8)年に再建されたものと言う。
 参道の石段を登り、境内に足を踏み入れると、拝殿の屋根の上の抜けるような青空に紅梅や白梅が咲き渡っていた。観音堂へと登る石段の途には、市の文化財になっている筆塚(学業指導の功績と徳を称え、近隣村の代表49人が1845年に建立)があり、指導者の角田すず女の「紫の雲の迎を待つばかり、うき世の事はとにも角にも」という辞世の歌が刻まれている。風情ある観音堂まで登りつめると、眼下には早春の香り立ち込める気持ちの良い景色が広がった。ここからさらに石段を登ると鐘楼。墓地を抜けて奥へと進むと、かつては「ありがた山」へ至る散策路が続いていたのだが、現在は開発事業のため立ち入り禁止である。
 「ありがた山」とは、妙覚寺の南側の丘陵斜面に並ぶ石造物群のことだ。1940〜1943年頃、都内の駒込付近の寺院にあった無縁仏を、日徳海という団体が移動したものを、妙覚寺の住職が厚意で墓地の一部を提供し、供養したと言われている。
 妙覚寺の裏門から墓地の間の道をどこまでも登っていくと、眼の前に圧倒されるような景観が広がった。いったい何百、いや何千あるのかわからないほどの石仏や石碑が、山の斜面を埋め尽くすようにぎっしりと立ち並んでいる。実際、この墓石の数は四千を超えると言われ、地蔵菩薩や観世音菩薩などもある。墓石の間を頂上まで登りつめると、日徳海のものと思われる塔が並ぶ広場に出た。振り返ると遥か下には、多摩川や都心の高層ビルまでもが幻のように広がっていた。
 
妙覚寺の山門
紅梅香る妙覚寺の山門
 
ありがた山
ありがた山石仏群の圧倒される景観
 
34回地図

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