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【風のタイムトリップ vol.36】花見客で賑わった 多摩川最後の渡し場


 
 多摩川はその昔から、台風や大雨のたびに氾濫して川沿いの家や田畑を流出させ、川の流れを変えてしまうこともあった。そのためなかなか橋を架けることができず、「渡し船」が川を渡る重要な交通手段となっていた。多摩川にはすでに江戸時代、上流から下流に至るまでに39か所もの渡し場が作られていたのだ。川崎市北部の流域にも、上菅・中ノ島・登戸・二子などに渡し場が作られ、対岸の農地への往来や農産物・肥料の運送、また年中行事などにも利用され、渡しは流域住民の生活には欠かせないものとなっていた。
 渡しは馬車や荷車を渡す大型船と、人や自転車、荷物などを渡す小型船によって運航されていた。大型船は長さが約11メートルから15メートルほど。大船や馬船と呼ばれ、農機具などを運搬する2トントラックが積まれることもあり、運搬量は相当なものだったという。また小型船は長さ9〜10メートルほどで伝馬船と呼ばれていた。
 菅の渡しは、江戸時代に上菅と調布市側の下石原間に「上菅(矢野口)の渡し」が作られたのが始まりで、さらに明治初期に下菅と調布市側の上布田間に「下菅の渡し」が開設した。二つの渡しは、1935(昭和10)年の多摩川原橋の開通により廃止されたが、統合された形で稲田堤と京王多摩川の間に新たに「菅の渡し」が設けられた。このあたりはかつて桜の名所で、花見と川遊びを楽しむ人で大変に賑わったという。その後、橋の架設に伴い、近くの渡しが次々と姿を消す中、1971(昭和46)年に京王相模原線が開通すると、多摩川最後の渡しであった「菅の渡し」も2年後に廃止された。
この渡し場にあった1929(昭和4)年建造の「船頭小屋」は市の重要歴史記念物に指定され、日本民家園に保存されている。
 
売店と貸しボート
渡し場の売店と貸しボート小屋
 
菅渡船場跡の碑
土手下にある「菅渡船場跡」の碑
 
36回 地図

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