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【風のタイムトリップ vol.51】源氏ゆかりの幻の威光寺と長尾の里に紫陽花の群れ咲く寺


 
 麻生区の紫陽花寺といえば、柿生の浄慶寺が有名だが、隣接する多摩区の高台にも、境内いっぱいに色とりどりの紫陽花が咲き渡る寺がある。JR南武線・宿河原駅から川崎街道、宿河原駅入口の交差点をさらに南下し、長尾橋を左折して、その名も「アジサイ寺入口」から坂道を上がっていくと、名刹「妙楽寺」に至る。
 妙楽寺は多摩川を眼下に見下ろす長尾丘陵にある天台宗の寺院だ。建立は仁寿元(851)年、円光によると伝えられるが、詳細はよくわかっていない。
 昭和52(1977)年に、妙楽寺の土蔵に安置されていた木造薬師如来両脇侍像(市重要歴史記念物)を修理した際、日光菩薩像の胎内に天文14(1545)年の紀年と、「武州立花郡太田郷長尾山 威光寺」の墨書銘が発見されたことから、同寺と、源家累代の祈祷所である「威光寺」との関係が推察されるようになった。またこのことにより、16世紀半ばにも威光寺が存在していたことや、当地が太田郷と呼ばれていたこともわかったのである。
 威光寺とは、鎌倉時代、源頼朝が自分の弟である全成(幼名は今若丸)を院主として派遣し、幕府の祈祷所として手厚く保護をした重要寺院である。鎌倉幕府の滅亡と共に衰退の道を辿ったようで、応永12(1405)年8月に梵鐘鋳造の勧進に関する記録を最後に史上から姿を消し、現存もしていない。ただ、この勧進文にも「武州立花郡長尾山威光寺」の記述があり、この時代にも長尾丘陵のどこかに存在していたことが伺えるのである。
 紫陽花が群れ咲く妙楽寺の境内を歩きながら、果たして「威光寺」はどこにあったのだろうと考えた。最盛期には長尾丘陵に広がる広大な敷地の中に、幾つもの僧坊や大小の寺院を擁していたであろう。幕府という後ろ盾を失い、残された仏像のみが、その中の一坊であった妙楽寺の蔵に移されて、長い年月を過ごしたのであろうか。
 同寺には近年、本堂と山門南西側の斜面に28種類、約千株の紫陽花が植えられ、毎年6月後半から7月初旬の見頃には、市内はもとより、関東各地からの見物客で賑わう。
 
紫陽花
本堂横の斜面も色とりどりの紫陽花に埋め尽くされている
 
長尾山妙楽寺山門
長尾山妙楽寺の山門
 
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