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【風のタイムトリップ vol.38】村民を助けたお礼に築かれた みさきの土塁


 
 麻生区千代ヶ丘中央の南にある「香林寺五重塔入り口」の小道を入り、緩やかな登り坂を上ってゆくと、左手にはこんもりとした屋敷林、右手には千代ヶ丘から細山方面の町並みが開ける。やがて行く手に物語が始まりそうな緑のトンネル。その木々が植わる土盛りに、「みさきの土塁」と書かれた案内板が立っていた。
 1783(天明3)年、浅間山が大噴火を起こした年は、江戸で大地震が起こり、春以来の多雨や冷害が重なって、関東・東北では大飢饉が起きたという。その年は2月に岩木山も噴火して各地に火山灰を降らせ、直接的な被害はもとより、日射量の低下による冷害が農作物に壊滅的な被害をもたらしたのだ。むろんここ麻生区周辺の村々も悲惨な状況に陥ったが、そんな時、白井家の当主・白井治良右衛門は、飢餓に苦しむ村民たちに食料を分け与えた。そのお礼として、村民たちは自分たちの畑の土を持ち寄り、白井家の入り口と三方に高さ3メートルの「土塁」を築いたというのである。 「みさき」とは白井家の屋号で、この屋敷の立つ土地が、尾根上にまるで岬のように突き出していたことに因んだ呼び方らしい。その時の土塁が今もここに残り、東南からの強風を防いでくれていると言うのだ。
歴史学的に言うと、土塁とは「城」の起源であり、敵の侵入を防ぐために住居の周りに築かれた連続的な盛土のことだ。思うに村民たちが土塁を築いたのは、白井家がもともと土塁を持つ城館のような造りだったからではないだろうか。白井治良右衛門はこの他、村内の数か所の谷戸川に石橋を架け、その供養塔は今も香林寺に残されている。
 トンネルをくぐり抜けると、広がる町並みの遥か中空に、ぽっかりと高石神社の社の森が浮かんで見えた。
 
土塁の上のトンネル
土塁の上を覆う緑のトンネル
 
根を張った大木
土塁の内側に根を張った大木
 
38回 地図

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