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【風のタイムトリップ vol.42】近藤勇も黒川炭も行き来した布田道


 
 幕末、新選組隊長の近藤勇や土方歳三、沖田総司らが江戸から出稽古に通うのに使ったと言う布田道。町田市小野路から甲州街道・布田宿を経て江戸へ至るのに最も近い道だったというが、その総行程13キロの一部が、今も黒川の里山の中に往時の姿をとどめている。
 近藤勇は、多摩郡上石原村の豪農・宮川家の三男として生まれたが、江戸の天然理心流三代目宗家・近藤周助に剣の腕を見込まれ、養子縁組の末、天然理心流四代目宗家となった。当時、多摩地方には武芸熱心な富農が多く、宮川家もまた自宅の敷地に道場を設け、近藤周助を師に招いていた。一方、多摩郡小野路村の名主で土方家と縁戚関係にあった小島家でも、自宅の道場で近藤周助の指南を受けていた。そして同時代の当主・小島鹿之助は、近藤勇や土方歳三の義兄・佐藤彦五郎とも義兄弟の契りを交わしていた。こうした関係から、近藤らは新選組結成以前より、布田道を使って小島家へ出稽古に足しげく通ったというのである。小島家の史料には、出稽古で麻疹(はしか)にかかった沖田総司が、布田道を馬に乗せられ帰ったとの記録も残されている。
 黒川に残る布田道は、町田市いずみ浄苑入口の脇道を上った先の、町田市真光寺町と黒川との境界を行く見晴らしの良い尾根道だ。道の途中の「新選組、近藤、土方の歩いた道」と書かれた立て札を見ると、秋の日差しの中、彼らが竹刀を担ぎ談笑しながら歩く様子が浮かんでくるようだ。
 ところで江戸時代、布田には大きな炭問屋があり、小野路方面の炭はみな布田道を通って出荷されていた。黒川の炭は良質で有名だったため、黒川でなくても周辺で焼かれた炭はすべて「黒川炭」名で江戸に運ばれていたという。布田道はまた、炭を運ぶ行商たちも行き来した道なのである。
 
布田道
多摩の富裕な農家の石垣に沿う布田道
 
近藤勇生家跡
産湯の井戸が残る、近藤勇生家跡
 
42回 地図

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