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【風のタイムトリップ vol.50】今も田畑を潤して流れる 江戸初期に造られた大丸用水


 
 昨秋、二ヶ領用水を辿る旅をした時、近隣の稲城市でも幕府の大規模な治水政策の一環として同時期の17世紀に「大丸用水」が造られたことを知った。川崎市の佐保田家に残る古文書には「元禄12 (1699)年以来、大丸用水組合による修繕資材の負担が行われた」と書かれていることから、同用水はこの年に既に完成していたと推測されるのだ。
 大丸用水は、稲城市大丸の多摩川から取水して川崎市多摩区登戸に至る、9本の大堀と約200本の小堀からなる総延長70キロの用水で、江戸時代に同用水を使っていたのは稲城地域の大丸村・長沼村・押立村・矢野口村の4村と川崎地域の菅・中野島・菅生・五反田・登戸の5村であった。これらの村は、多摩郡と橘郡という異なる領主が支配する2つの郡にまたがっていたが「大丸用水九ヶ村組合」を組織し、協力して用水の維持・管理を行っていた。だが堰の設置や渇水時の水の配分などを巡っては争いが絶えず、その度に幕府へ出訴していたという。
 現在、JR南武線・南多摩駅の北口に面したイチョウ通りと川崎街道の間には、大丸用水の大堀から分岐した菅堀・押立堀・新堀などの流れが、柳並木の木陰も涼やかな親水公園の遊歩道として整備されている。これらの小堀は、今も水田や梨畑に水を供給し続けており、あるところでは、往時からの水堀の積み石や堀に架かるめがね橋が古都を思わせる趣を残し、またあるところでは、レンゲ畑を眺めるゆるやかな水溜りの中で、子どもたちが川遊びに昂じている。
 そんな平和な光景を楽しみながら、菅堀に沿って歩き続けると、やがて先ほどのイチョウ並木通りの、1キロほど川崎寄りの地点に出てくる。菅堀はこの後多摩川に戻り、途中で菅堀と分岐した新堀は、川崎市多摩区で三沢川と二ヶ領用水に合流し、多摩川へ戻るという。
 
めがね橋
桜や柳の並木が風情を醸し出す、めがね橋の情景
 
堀の沿道
堀の沿道では季節の花々が目を楽しませてくれる
 
菅堀と新堀の分岐
菅堀と新堀の分岐の水溜りで遊ぶ子どもたち
 
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